ドジャースWS制覇へ王手

ニューヨークで28日(現地時間)に開催された米大リーグのワールドシリーズ第3戦。
ナ・リーグのドジャースはア・リーグのヤンキースと対戦し、
前の試合左肩を負傷した大谷選手が「1番・指名打者」として出場しました。
しかしこの試合での大谷選手は3打数無安打に終わりましたが、2四死球を記録。
第2戦で盗塁を試みた際に左肩を亜脱臼するというけがを負っており、その影響が懸念されます。
試合はドジャースが4-2で勝利し、これで3連勝。
あと1勝で4年ぶり8度目のワールドシリーズ制覇に王手をかけています。
ドジャースは一回にフリーマンが3試合連続となる2ランホームランで先制し、
その後も三回にベッツ、六回にはE・ヘルナンデスの適時打で追加点を加えるなど、
堅実な試合運びを見せました。先発投手のビューラーも5回無失点と好投し、
チームの勝利に大きく貢献しました。
ヤンキース戦での勝利でさらに勢いに乗るドジャース。
明日の試合で大谷選手のホームランをみたいですが、あまり無理もしてほしくない気もします・・・
試合開始時間と気温にびっくり
日本でのテレビ中継開始が9:08。
ん?
現地時間は何時だろうと思い、ニューヨークの時間を調べたら20:08!?
ただでさえ長くなりがちなポストシーズンのゲーム。
これ、終了時間は24:00近くになるのでは?
と思っておりましたら、やはり試合終了時刻は23:43でした。
ゲーム終了時の現地気温9度!
選手の皆さん、ホントお疲れさまでした。
ちなみに、大谷さんのデーゲームorナイトゲームの成績を調べたところ、
下記のデータを発見しました。
打率 | OPS | |
デーゲーム | .320 | 1.000 |
ナイトゲーム | .280 | .937 |
このデータから、大谷さんはデーゲームのほうが良いのではないでしょうか?
ただ、ニューヨークでのデーゲームとなると、日本時間の深夜ですが・・・

LAドジャース その昔は”ブルックリン・ドジャース”

ブルックリン・ドジャースは、1883年に創設され、
1957年までニューヨーク州ブルックリンを本拠地とした歴史ある
メジャーリーグベースボール(MLB)のプロ野球チームでした。
チームはこの期間、数々の成功を収めましたが、
特に象徴的な出来事として1947年にジャッキー・ロビンソンが
メジャーリーグ初のアフリカ系アメリカ人選手としてデビューを果たしたことが挙げられます。
このロビンソンの登場は、MLBにおける人種の壁を打ち破る第一歩となり、
米国のスポーツ史に大きな足跡を残しました。
1932年から1957年にかけて、ドジャースはナショナルリーグで何度も優勝し、
特に1955年にはワールドシリーズで念願の初優勝を成し遂げました。
この頃のドジャースには、サンディ・コーファックスやドン・サットンといった
伝説的な投手が在籍し、強力な投手陣はチームの大きな支柱でした。
しかし、1950年代後半に入ると観客動員数が減少し、
ブルックリン地区での経済状況の変化も加わり、
チームはロサンゼルスへの移転を決断します。
1957年、ドジャースはロサンゼルス・ドジャースとして新たなスタートを切りましたが、
この移転はブルックリンのファンにとって深い悲しみをもたらしました。
ファンにとっては地元ブルックリンに愛され続けたチームの喪失であり、
今もなお多くの人々にとって忘れ難い出来事として語り継がれています。
TVの中継では、旧ドジャースタジアム跡地には大規模なアパートメントに代わっていましたが
ホームベースのあった場所はそのままになってましたね。

衝撃の99バーガー

こちらも中継で紹介された、ヤンキースタジアム名物『99バーガー』。
「99バーガー」は、西海岸で展開する人気チェーン
「イン・アンド・アウト・バーガー」に近いスタイルの、カリフォルニア風ハンバーガーです。
その名前は、カリフォルニア州出身のアーロン・ジャッジ選手の背番号「99」にちなんでいます。
このバーガーは、ニューヨークのローベルズ社が誇るアメリカン和牛を使った2枚のパティに、
濃厚なニュースクール・アメリカンチーズ、特製のソース、ピクルス、
カラメル状に炒めた玉ねぎを加え、ブリオッシュバンズで挟んでいます。
好みに応じて、レタスやトマトのトッピングも追加可能です。
価格は19.99ドルで、新鮮な食材の風味を最大限に引き出すために、
1試合につき99個限定で提供されます。
ん?19.99ドル・・・??
現時点でのレート153円換算で3,058円!!
ニューヨーク(アメリカ全体?)の物価の高さに衝撃を受けました。

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